一人暮らし一年五ヶ月
ドンドンとズボラになりました
(๑>◡<๑) プププッ
洗濯竿はまるで
クローゼット☆*:.。.
入浴時に下着を洗い干す
乾いたら直でそのまま履く
ブラ、オパンツ、キャミソール、
パンスト、スパッツ一式 笑笑
洋服やパジャマもそのまま
洗濯物をたたんでしまわない
まるでタンス&クローゼット
(⌒▽⌒) 幸せなズボラ
話は変わり
先だっての野球ドラフト会議
高校生、大学生、社会人、
皆さん、それぞれの努力と苦労があり
感動して泣ける泣ける・・・。
ヽ(;▽;) お母さんを
楽にしてあげたい!!
何人もの子がそう言ってました
そうだ、ウチにも高校生の
孫が二人もいる
LINEを送ってみました
私
「野球のドラフトヤバイね。
母さんを楽にしてあげたい!って
ばぁちゃんを楽にしてあげたいって
思わないのかねー」
孫
「サッカーにドラフトないから
なぁー笑」
(⌒▽⌒) ナイス!な返し アハハハ
スポーツやってる孫には
ばぁちゃんもかなり協力して
いると思うんですけど
母親には勝てませんね
野村克也氏に父の記憶はない
2歳の時、戦争に行き3歳の時
戦死した
貧乏で病弱の母は一人で
野村克也兄弟を育てるが
癌を患い入院
兄弟を父の知人の家に預けた
野村少年はすごく嫌だった
「貧乏でも親が側にいるのと
いないのとでは大違い。
よそでは、お腹すいたの一言だって
言えないんだ」
母は退院しまた家族が揃う。
野村少年は嬉しかったし
「お母ちゃんを楽させてやりたい」
という一心でプロ野球選手を目指した。
しかし、母は大反対
「こんな田舎で育ったお前があんな
きらびやかな世界でやって行ける
わけがない。就職して堅実に暮らし
なさい」と。
3年間の期限を設けようやく
プロ入りを許された野村氏。
月給7千円から、合宿費の3千円引かれ
残りから千円を毎月、母に仕送りした。
その後、野村氏は大成功。
仕送りも欠かさなかった。
母は野村氏に言う
「お前が幾ら仕送りをくれても
一番最初に送ってくれた千円に
勝る大金はないよ」
野村氏が送ったお金は母が
64歳で亡くなるまですべて
貯金してあった。
野村氏がいつかお金に困った
時のために。
私たちは貧しかったが
心まで貧しくはなかった。
母の愛情に育まれ前向きに
夢を持って成長できた。
大切なものは形ではなく
愛情という無形のものだ。
プロ野球監督 野村克也氏
ビートたけし氏のお母さんも
たけし氏から貰ったお小遣いは全て
息子が困った時にと貯金していたと
言いますね。
野村克也氏のお母さんも
そうだったんですね。
( ´ ▽ ` ) 素晴らしい
わたしなら折角ですから
息子の愛に応えて使います!!笑笑
(S.Hさん撮影)
ハンターズムーンの満月に
願いを込めて
皆様がたくさんの愛と光に
包まれますように☆
お読みくださり感謝です
世界平和を祈ります。