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大谷 裕美
有限会社ストーンブレス代表
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2023年07月28日
今日は施設立ち上げのときに
お手伝いしてくれたMちゃんが
トマトカレーとナンを差し入れ
してくれました
暑い日にトマトカレーは
ピッタリで大変美味しく
いただきました
カレーはタッパにビッチリで
こんなに食べられない・・・
なぁんて思ってましたら
( ̄∀ ̄) 全部完食 笑笑
生のトマトに
たっぷりのタマネギ
チョッピリ辛くて
大満足の夕食になりました
(⌒▽⌒) 幸せです!!
話はコロリと変わり
今、令和何年か
わからなくなったときは
西暦から18を引くと
令和何年かわかるんですよ
2023年−18=5 令和5年
強運を運ぶのは
やっぱり笑顔です
悲しい顔をしている人に
明るい人や明るい話しが
集まるわけありません
斉藤一人氏
明日も暑い日となりますが
明るい笑顔でエイ!エイ!オー!
皆様がたくさんの愛と光に
包まれますように☆
4ページに渡り
お読みくださり感謝です
世界平和を祈ります。
posted by ゆうみ at 20:18|
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日記
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今年の2023年3月28日に
発生した
京都保津川下り事故
乗客25人全員無事
ベテランの船頭さん2名が死亡
なぜ?
ベテランの船頭さんが
亡くなられたのか不思議でした
実は
女性が川に放り出された時
孫とはぐれ
川深くに沈みながら
もう死ぬと思ったその時
下から誰かに押され
岸に上げられました
その人に孫がいないと訴えたら
その場で待つように言われ
その人が
100mほど下流で
誰かに引き上げられた孫を見つけ
女性に腕で大きく輪を記して
知らせてくれたそうです
その後、その人は
また他の人を救って
見えなくなりました
後で、その人が
亡くなられた40代の
船頭さんだとわかったと
いうことです
50代の船頭さんは
船底に沈んでしまった
2人の乗客(韓国人)を
救い出して亡くなられたそうです
メディアは船頭さんが
救命胴衣をつけていなかったなど
問題視していました
専門家の的を射ない
発言もありました
ネットニュースでは
救命胴衣をつけるべきであったの
声が圧倒的多数でした
でも、真実は
船頭さんが救命胴衣をつけて
いたそうです
引っ張るタイプの救命胴衣を
ライフジャケットの紐を引くと
浮き輪ができてしまい
助けたい人がいても
助けられない
紐を引かなかっただけ・・・
乗客25人全員無事
救命胴衣の正しい着用が
明暗を分けた?
いいえ
自らの命と引き換えに
乗客を救ったのです
田中三郎さん(51)
関雅有さん(40)に
心より感謝の敬意を表しますとともに
ご冥福をお祈りいたします
そして
忘れてはいけない
東日本大震災では
津波が迫りつつある
庁舎でギリギリまで
放送で住民に避難を呼びかけて
亡くなられた町の職員
遠藤未希さん(24)
本当に尊いですね
皆さん
日本人としての誇りを持って
職務を全うして・・・
殺人事件が情けない
日本人としての心を
いいえ、人としての心を
取り戻して欲しいですね。
posted by ゆうみ at 20:17|
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日記
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今の日本人に伝えたい
「あなた方の祖先は
素晴らしかった」
この言葉は、実際の沖縄戦の
動画の最後に登場したアメリカの
海兵隊をなさっていた方の言葉です
当時この方のお役目は
特攻隊を撃ち落とすこと・・・
年老いたこの方の後ろには
旭日旗が掲げられ、それには漢字で
『神風』
と書かれていました
神風特攻隊とは
1944年10月20日にフィリピン戦線に
編成された特別攻撃隊です
航空特攻の戦死者は3830人
一隻沈めるのに81人の尊い
命が必要だったんです
この方が語った日本の若き
特攻隊のお姿を日本の国民の皆様に
知っていただきたい
「私は海軍で特攻隊を撃ち落とす
役割を担っていた
日本軍のそれは、容易に撃ち落とす
ことができるので、彼らは役目を
果たすことなく、我が軍艦に近づく
前に全て撃ち落とすことができた
しかし
どうしても撃ち落とすことの
できない飛行機が
私の船に近づいてきた
至近距離に来て
その兵士と私は
目と目が合ったのだ
その兵士は彼らに射撃を
続ける私に対して・・・
美しい目で・・・
彼は少年のように
若く見えたが
その美しい目で
敵の私に、右手で
敬礼をして見せた
そして
そのまま私を避けて
長い船体の
私の操縦する後ろに
自ら突撃をして
果てたのだ
これを見た時に私は・・・
今まで敵と思っていた
あの人たちは一体何者なのか
あの崇高さを見たら
私は神と戦っているのかとさえ
感じて
手が震えて、それ以降
操縦することができなく
なってしまった
気が狂ったとされ
私は戦争半ばで、最前線を離れ
アメリカに戻ることになった
今の日本人に伝えたい
あなた方の祖先は
素晴らしかった」
相花信夫 少尉 18歳 遺書
母上様 お元気ですか
永い間本当にありがとうございました
我、6歳の時より育て下されし母
継母とは言え
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
ありがたい母 尊い母
俺は幸福であった
ついに最後まで
「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
なんと意志薄弱な俺だったろう
母上お許しください
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと
( ;∀;) まだ、18歳です
祖先の尊い命の上に
わたしたちが生きていることを
忘れてはいけませんね
世界平和を祈ります
posted by ゆうみ at 20:17|
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日記
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